許容範囲

昔はどうだったのかな。覚えていない。

 

すぐに怒るような『プライドが高くって負けず嫌いな女の子』

たしか、そんな感じ。

理解できなかった物事を許していかないと、自分という生き物とは辻褄が合わない

たしか、そんな感じ。

 

どうやって自分を慰めていったのかは忘れたな。

きっと接客でいろんな人を見てきたからなんだろう。

徐々に、徐々に、

昔だったらムカついていたことなんて、笑い話に変えられる。

●笑ってくれる人

●論理的に解釈し、空想的に私と物語を作ってくれる人

そんな人たちに育ててもっらったから。

それから、今の私を守ってくれたのは他でもない

●”優しすぎるが”芯をしっかり持っている人

作ってくれたのは

●面白くてついつい話をしてしまう上司

 

素敵な人に囲まれて、

やっぱり素敵な人生を歩いている。

 

そう、

 

『自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ。by.Bob  Marley』

 

 

私の好きな言葉

20歳は産まれもった顔

40歳は人生の顔。

 

 

ソフィが届けてくれたハガキ、

 

ソフィの好きな言葉

『世界は不思議なものでみちている』

『お天道様は見ています』

"様々なものごとに、感謝の気持ちでね。"

というお手紙。

ありがとう。

 

そして今日は、愛と、その先輩のいさがわさんと、同僚のお友達と、慣れない丸の内。

緊張した。

あらゆる事は、そばに置いてとりあえず、出会に感謝です。

 

素敵な1日をありがとう。

世界仰天ニュース

オウム真理教の話をVTuberで観た

 

信じるものは人それぞれある。

宗教は然り、

物や場所、人に対してもある。

 

こういう事件があるから異常に警戒してしまうんだな。

日本の宗教は"無意識"とか、

仏教が多いのに、それを宗教だと認識していない人が多いし。学ぶ機会もない。

自由に選んでいいよ、とは言っているものの学校の授業では『信仰の自由』という単語だけ印象に残るだけ。

 

 

"周りの人と、同じであれば、変じゃない"

 

 

 

自分が信じていることを発信していくことは、

この日本だと軽蔑の対象になる。

 

 

宗教を学んだり、インド出張に行ったり、海外の人と話すと腑に落ちる。

 

ヨガをYouTubeで観て試して、身体が楽になったり、

瞑想をして、サイババのガヤトリーマントラを唱えて心地よい。と思ったとしても、

人に真剣に『これがいいよ!』と話せない。

 

瞑想なんて、科学的に身体や精神にいいことだって証明されているはずなのに。

 

日本では周りと同じじゃない人を警戒し過ぎていて、単純に言って堅苦しい

 

ただ、掘ってみると、日本人がすぐに謝ったり、相手に対し感謝する、お墓参りに行ったり、神社に参拝しに行ったり、お守りを手に入れたり、厄除けのアイテムを持ったり。

お盆にお休みがあったり、まだまだ素敵な文化が健在している。

 

気づかないだけ。本人たちも。

 

だから、違う宗教の人のことも理解出来ていたらいいのにな。f:id:martam:20230801022824j:image

age

世代が違っても、

"仕事は仕事"とか

"やるせないから寧ろ楽しもう"とか

教えなくても簡単に理解してくれる人はいる。

今は思うのね。取り敢えず、今はね。

もしかしたら次の世代は違うかも知れないから、何とも言えないのよ

 

 

あの人嫌だ!この作業嫌だ!あのお客さんムカつく!今日はやる気ない!

今日は体調優れない!もう無理!めんどくさい!!何で私だけ!?

 

平気で口に出すのは意味がわからないが、

思うだけならばいくらでもいいよ。

嫌でもやってみたらいい。

向いてないとか、4〜5年くらいでわかる事だから。例えしんどくても、自分の為になるから。

 

 

そうだな、彼女たちは20歳。19で就職して今。

私が18歳の頃、”働く”なんていう意味さえ知らずに、責任感も無く人生に繋がることも考えずにいた。確かに同じようなスタンスだったんだ。それでバイトして『髪の毛金髪にしたいな』っていう理由で突然やめた。

でも仕事は割り切っていた。愉しむだけ愉しんでいた。

 

 

割り切れっていうのが通じないのか、平気で愚痴を吐く。

そして、辞めたいと言う

寄りそったり、上手に説得したりして辞める時を延長して貰ったけれども。

そんなことは関係ない模様。

挙げ句の果てに今日は最低な接客だった。

何も楽しくないんだろうな。酷いもんだ。

 

14何前の私を思うと甚だしいが、

一緒に働いている人に失礼だ。

 

私は後悔している。バイトで頑張らなかったこと。失礼だったこと。

それは、いくら説得してもわからないと思う。

”働くこと”を知って、味方を一切なくして初めて理解できたことだったから。

 

同じように理解して行ったらいいと思う

必ず後悔は付き沿う。

 

私はそれに感謝している。

あの頃こうやって仕事していけばよかったんだろうなとか。

 

ただそれは、解ろうとしなければ、一生解らない

笑ってやり過ごせなければ、しかめっ面な人生を送る。

そして、それなりの酷い人生を送る。

そして眉間に皺が寄ったり、口角下がったりと酷い顔が出来上がる。

 

愚痴の様になってしまったわ。

今日は学べる1日でした。変なお客さんも多かったので面白かったの。

 

 

さて、私は私。先月から変われた私だ。

明日は何から手をつけるべきかな。

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モットー

友達がinstaで呟いていた。

確か彼女は10何前も同じこと言っていたな。

女の人としてのモチベーションだとか、まだ30代なのに”老化現象”だとか。

みんなどう考えてる?

なんて言うから、前も思っていたけれど言わなかった気がしたから

もどかしくってリプライ送った。

 

『自分が歳とったって思わない事、それから今が理想や目標じゃなくっても100%愉しむ事』

 

今ある自分をプラスに受け入れないと、全てが悲観的になってしまう気がする。

でも

ひとりひとり、違うんだろうな。

 

身体的に自分が”やばい”って思ったら、食事を気にしたり運動を取り入れたり

肌を気にしたり、着るものを変えたり

捨てるべきものを捨てたり、綺麗なものを見たり、海に会いに行ったり

家族や、職場の仲間とお話ししたり

ベランダの植物たちと向き合ったり

音楽を聴いたり、ハマったり、分析したり、曲を作ったり歌ったり。

 

地道に審美眼を鍛えていく事が、

私にっとっては大切なんだろうなぁ

 

モチベーションって、いろんな形があるなあって。

 

私が、今を愛せるってことは、そういうことなんだろうな。

勿論、今は全く完璧で納得のいくような状況じゃないけれど

私には職場や友達、沢山の仲間がいて、

そのうちのひとりが今日お誕生日を迎えた。

改めて、今日もその”素敵な人”に感謝を思います

 

そして、私の周りの全ての人へ。

感謝しています。

 

ちゃんと、言葉で、行動で、伝えないとね。

 

 

 

人それぞれ違うから、深いことはinsta呟きの答えにはしなっかったよ。

 

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今日も私は旅をする

私が20歳になりたての頃や、入社したての頃は、

なんでも出来るって思っていた。

自分で起業したり、自分のブランドを考えたり

音楽と両立したり

 

全部曖昧な夢だったけれど

同志の友達と何をしよう!と語ったり

イベント企画したり。

音楽を一緒に作ってセッションしたり

 

何でも怖がらずに、何でもやっていた。

 

今、思い出したのは他でもない。

仕事をやめて実家に帰りたいと言っていた子が

改めて話ししてくれたんだけれど、

実家に帰って、やりたいことを沢山やる。

田舎だと休みの融通も利くから、仕事をゆるくやって、プライベートなどを充実させたい

(彼氏との時間、お父さんや、大好きなおばあちゃんと、今沢山会っておいて自分が後悔しないようにしたい。で、それは自分の為でもある)

そう言われたら、

その子の生きがいは。最優先は。

 

『だれかのために生きること』

 

ってことなのか。と理解した。

 

 

最初に聞いた“野望”みたいなやつは、ベールだったのかな。

その子は、きっと2〜3年後にまた都会に出てきたくなると思うんだ。

でも、今は引き止めずに、やりたいようにやったらいい。

最低限だけだけれど、人生のアドヴァイスはした。

 

 

育つ環境って本当に自分を作るんだな。

同じ野望を持つ同志だったけれど。。。。

私は、ソフィやミホッチに、感謝しかない。

今、私が見えるものは、結構少ないけれども。。

二人のおかげで、もっと具体的な目標を持たないといけないなって思うんだ。

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今日っていう名前がついた日

例えば”それ”は難しかったりする。

私は”それ”を上手に分析してみたりするの。

誰が、どう、何て思うのか。

相手のことを思って考えすぎることはやめて

私を基準に考え始めたら、とても楽チンな事に気付いたの。

 

そうやって数日、

私は、楽しくて

それでいて、ありのまんまの自分でいられる気がして。

 

 

ありのままの自分って、

楽しいことを存分にやるのも然り、

今まで言葉にしなっかった大切な人への労りや

心から思う『ありがとう』

そういうのが

上手に、私の心に、戻ってきた。

というか、あからさまに、言葉に出せるようになってきたの。

 

 ありがとう。