私という人を知るって、外から見る方が明確だと知った。

ソフィに『本当は優しく無い』って言われた事が何度か有ったけれど、他人から『優しい人だ』と言われて打ち消してしまっていた。

今思うと、一番近くにいた人に優しく無いと言われるのは確かだったなとおもった。

 

なぜなら

ちゃんと言葉に出来ないと"感謝"という柔らかい感覚は簡単に、単純な空気に流されてしまうということ。

私はしっかり感じていたはずなのに。

 

 

私は店長として、今ここから本気で逃げたくなった。でもしっかり向き合おうと思った。

向き合わなかったことは高校時代もあったけれども、それが癖になって仇となった。

 

先輩2人がパートとして残ってくれている職場が、心地いいとさえ思ってしまっていた。それについて有り難みを感じていた。

 

これから何があろうとも『緩さ』は許されない。甘えたっていい状況はあるがその『甘え』というのは、尊敬が伴ってからこそのものだ。

 

自分の理想をしっかり持て。

目標を立てよう。

それを教える立場なら、自分がやらないと、この立場として失格だと地平線辺りで気がついた。

 

遅かったのかもしれないが、それまで気づかなかった事が、ただ単に事実(開き直っているのかも知れないが、失敗という出来事。失敗から、しっかり学ぼう。)

 

それから

 

もし、うまくやってがんばって試行錯誤して

120%の力を出して(体力の限り)

それが無理なら、そこからまたそれを活かして人生をやろう。

(因みにそれが無理だという可能性は0%を感じている)

そう思えているのに、今までできてなくてごめんなさい。

 

全ての物や人に、ごめんなさい。

そして、ありがとう。f:id:martam:20230624001641j:image